神戸製鋼:事故抑止が狙い 構内移動手段の原付きバイク、今月から全面廃止 /兵庫

◇“エコ”にも寄与
 神戸製鋼所加古川製鉄所(加古川市金沢町)は、構内の移動手段にしていた原付きバイクの使用を10月から全面廃止し、自転車に切り替えた。事故抑止が主な狙いだが、“エコ”の観点から二酸化炭素排出量の削減にも寄与しそうだ。【成島頼一】

 神鋼によると、かつては構内(570万平方メートル)各工場に分散配置していた保全系スタッフなどが人員減からセンターに集約されたため、移動用にバイクを配置。神鋼、協力会社各700台のバイクが1台当たり1日15~20キロ走行していた。しかし、近年、休業災害となる転倒事故が年に1~2件発生。事態を重くみた神鋼は協力会社も含めて全廃に踏み切った。

 神鋼は、新規購入360台を含め520台の自転車を配備。予約による共用化を図っているという。協力会社の配備も進んでいるという。

 一方、神鋼は二酸化炭素削減にも積極的だ。昨年7月にスタートした「エコ通勤」導入後は、4月時点でバイクも含めて約3300台を削減。専用の通勤バスが取って代わった。1日当たり約8・7トンの二酸化炭素削減につながったとされ、今年7月には県内で初めて国交省制定のエコ通勤優良事業所に認証された。

 神鋼は「詳細な試算はまだだが、バイクの二酸化炭素排出量は自動車の約4分の1と見込まれ、廃止は一定の削減になる。さらに削減策を検討する」と話している。

〔播磨・姫路版〕

自転車転倒、孫助け祖母はねられ死亡 明石の山電踏切 

6日午後0時45分ごろ、明石市西新町3の山陽電鉄西新町駅東の「国道西踏切」で、同市貴崎、無職中村千秋さん(49)が、姫路発阪神梅田行き特急電車にはねられ、約1時間半後に死亡した。中村さんは、孫の男児(2つ)を自転車に乗せて踏切を横断中に転倒。電車が接近したため、孫を抱きかかえて踏切の外に避難させた後、自転車を動かそうと再び踏切に入り、はねられたらしい。男児は自転車で転倒した際、顔を打ったが、無事だった。電車の乗客にけがはなかった。

 明石署によると、中村さんは、同居する孫の男児(2つ)を自転車に乗せて踏切を東から西へ横断中に転倒。当時、雨の影響でレールなどがぬれて、滑りやすくなっていたという。

 現場近くの店員によると、事故の直後、踏切わきで泣きじゃくっていた男児を中年男性が抱きかかえていた。この男性は「女性は踏切内に残った自転車を取りに戻ったような感じだった。なんで戻るんや、と思ったが、間に合わなかった」と話したという。

 中村さんの近所に住む女性は、中村さんが孫を自転車に乗せて出掛ける姿をよく見たといい「きのうもあいさつしたばかり。『きょうは孫の誕生日』と喜んでいたのに」と声を詰まらせた。

 この事故の影響で、後続の上下線4本が最大12分遅れ、計約600人に影響した。

 現場周辺には、この踏切を含め、約150メートルの区間に計4カ所の踏切が集中し、現在、踏切をなくす高架化事業が進んでいる。今年1月には隣接する踏切で、高齢の女性が誤って軌道内に乗用車を進入させて特急電車が衝突、直前に女性が逃げ出した事故もあった。

(2009/10/07 01:09)

乏しい痕跡「情報を」

◇熊谷・小4ひき逃げ死亡から1週間

 熊谷市で9月30日、自転車で帰宅途中の小学生が車にはねられて死亡した事故から、7日で1週間。現場は国道への抜け道として、交通量が多い場所だった。県警はひき逃げ事件とみて、聞き込みや防犯カメラの分析など捜査を続けながら、情報提供を呼びかけている。

◇県警 聞き込み・映像分析/捜査員「出頭して」

 熊谷署によると、亡くなったのは同市大原1丁目、小学4年生の小関孝徳君(当時10)。当日午後6時50分すぎ、同市本石1丁目の市道で、書道教室から自転車で帰る途中にはねられた。

 現場には、自転車が地面とこすれて付いた跡以外、車のブレーキ痕や破損した部品などは残っていなかった。自転車も大破はしておらず、何らかの理由で転倒した小関君を車がひいた可能性もあるという。同署は付近で聞き込みをし、道路が映っている防犯カメラの映像を分析するなどして捜査をしている。

 県警によると、県内で今年発生した死亡ひき逃げ事故は他にも13件あるが、すべて容疑者が逮捕されている。「現場に痕跡がない事件も検挙してきた」(県警)といい、捜査員は「人の心があるなら出頭してきて欲しい」と話す。

地震大国ニッポン、災害の犠牲者を減らす鍵は

【10月5日 AFP】地震や台風にたびたび見舞われる割に、他の国に比べて被害が限定的な日本。災害への備えに熱心で定期的に防災訓練を行っていることに加え、建物やインフラの耐震化に巨額をつぎ込める財政力があることが鍵だと、専門家らは指摘する。

 群馬大学(Gunma University)の片田敏孝(Toshitaka Katada)教授(社会環境デザイン工学)は、日本でも50年ほど前までは、災害に襲われるとまさに現在の東南アジアのような状況になり、毎年、数千人の犠牲者が出ていたと語る。

 だが、1959年の伊勢湾台風で5000人以上が犠牲になった後は、95年の阪神・淡路大震災で6400人以上が亡くなったことを除けば、災害による死者数は年間数百人、数十人まで減少した。これは、政府が国民の命を守ることを国の責任と考え、堤防建設や洪水・地滑り対策に力を注いできた成果だと片田教授。地元自治体が警報発令や食料・毛布の援助など、準備を整えていることを指摘した。

■日々の備えが充実

 1923年の関東大震災にちなんで制定された9月1日の「防災の日」の防災訓練には、今年は麻生太郎(Taro Aso)首相(当時)を含め約79万5000人が参加した。

 携帯電話で緊急地震速報などの受信ができるよう設定している人も多い。学校では、地震がきたら防災ずきんをかぶって机の下にかくれるよう教えている。デパートなどでは防災グッズが売られ、予備の眼鏡、持病の薬、赤ちゃん用のおむつや離乳食も準備するようアドバイスされている。建物が倒壊して火災が発生し、携帯電話が通じないような最悪の事態に備え、家族で緊急時の集合場所を決めておくことも推奨されている。

 家具転倒防止器具や折りたたみヘルメットのように、災害がきっかけで新たな防災製品が開発された例もある。

■先進技術や統治能力の高さも貢献

 このほか、地震発生時には核施設や新幹線が自動停止する仕組みが導入されたことや、過去数十年で多くの建物の耐震化が進んだことも、「経済大国日本」で災害による犠牲者が他国より少ない理由だといわれている。

 日本の地震速報システムは世界で最も進んでいると指摘するのは、防災科学技術研究所(National Research Institute for Earth Science and Disaster Prevention)の井上公(Hiroshi Inoue)国際地震観測管理室長だ。9月29日にサモア諸島沖でマグニチュード(M)8.0の強い地震が発生した際も、日本は即座に津波注意報を発令した。

 また、統治能力や法整備も、防災統治においては重要だ。汚職で資金が流用されるようなことがなく、公共建築物の構造がしっかりしていれば、倒壊の心配は減る。

 日本は、国際貢献の一環として、防災訓練や防災技術の提供を各国に対して行っている。

 井上氏はインドネシアに日本の地震速報システムを導入するプロジェクトを率いるが、同国で真っ先にすべきことは住宅の耐震化だと指摘した。

 また片田教授は、気候変動により気象災害の数が増加し内容が深刻になるなか、日本をはじめとする各国はより災害への備えを強化すべきであり、政府だけでなく個人もより注意深くなるべきだと指摘している。(c)AFP/Harumi Ozawa

桜井「リレーへの思い強く」=ショートトラック合宿公開

スピードスケート・ショートトラックの強化合宿が5日、長野県内で行われ、バンクーバー五輪を目指す男女の有力選手が練習を公開した。
 9月のワールドカップ(W杯)第2戦、ソウル大会で女子3000メートルリレー2位に貢献したエース、桜井美馬(早大)は「(強豪の)韓国、米国が転倒するラッキーな面もあったが、脅かすことができた」と成長を実感。五輪の国別出場枠(男女とも最大5)が懸かる11月の第3、4戦へ向け、「リレーへの思いがさらに強くなった」と話した。
 男子ではW杯第1、2戦の代表から外れたベテランの寺尾悟(トヨタ自動車)が「いつ呼ばれてもいい状況。(国内で調整していた)僕が一番フレッシュ」と明るい。リレー枠で代表復帰の可能性がある第3、4戦へ意欲を示した。

中野、出だしで不運=フィギュア・ジャパンOP

▽黒タイツに赤い炎をあしらった派手な衣装で目を引いた中野は、出だしのトリプルアクセルで転倒し、その際に左手をついた影響で左肩を痛めた。右手で肩を押さえて数秒間うずくまるほどの不運に「何が何だか分からないうちに滑ってしまった」と、思い描いた演技はできなかった。
 昨季は世界選手権代表を逃し、長いシーズンオフを過ごした。早めに調整してきたはずが、2日ほど前にジャンプの構成を変えたという。五輪代表の座を手にしたい勝負のシーズンは2週間後のフランス杯から。「もう1ランク上げて、本番で確実にできるように」と、最後の仕上げを図る。(2009/10/03-19:26)

ライバルの外国勢は好スタート/フィギュア

ジャパン・オープン(3日、さいたまスーパーアリーナ)五輪でメダル獲得を狙う日本のライバルとなる外国勢は仕上がりの良さを見せた。

 現役復帰したトリノ五輪男子銀メダリストのランビエールは出だしの4回転ジャンプで転倒したが、2度の2連続3回転を決めるなど、小塚に20点以上の大差をつけた。「きょうの演技は満足しているが、まだ完ぺきではない」と金メダルを狙う五輪を見据えた。

 24点近い差で浅田を圧倒したロシェットは地元開催の五輪へ好スタート。「今季初戦で自己ベストはうれしい。昨季よりもレベルアップをしてきた」と自信を見せた。

真央が丸裸に!?

中日スポーツ –

フィギュアスケート▽3日▽埼玉・さいたまスーパーアリーナ

 浅田真央(19)=中京大=のバンクーバー冬季五輪シーズンは、ホロ苦い船出となった。新フリープログラム『鐘』(ラフマニノフ作曲)を初公開したが、トリプルアクセル(3回転半)を2度とも失敗するなど精彩を欠き、06年にシニア転向以来ワースト2位の102・94点で女子6人中3位。ライバルキム・ヨナ(19)の母国・韓国からテレビ取材班が来場。浅田の演技のVTRが韓国連盟サイドに渡り、丸裸にされるおそれが出てきた。日本チームは選手が総じて不調で最下位に終わった。

 両手を天に突き上げる決めポーズを解いた浅田が、首をかしげた。2度試みたトリプルアクセルで1発目は転倒、2発目が1回転半に抜けるなど得意のジャンプで、まさかの失敗が相次いだ。

 「今日初めてフリーを滑って、自分の練習してきたことをすべて出すことができなかった」。シニア転向後、ワースト2位の低得点となった演技を反省した。

 事件は試合後の会見でも起きた。韓国テレビ局SBSの取材班が浅田に対して「(以前のインタビューで)新しいプログラムを史上最高のレベルにアップすると言いましたが、キム・ヨナ選手を乗り越えるという意味でしょうか。ヨナ選手を意識しているのか」と“直球”の質問を浴びせかけた。浅田は一瞬、顔をこわばらせながら「そんなふうには考えていません」と、否定するひと幕があった。

 今月15日に現地で放送するヨナと浅田のドキュメントに、今回の試合の映像が使用されるといい、韓国連盟サイドに流れるおそれもある。SBS取材班は「スパイじゃないですから」と話すが、浅田のマネジメント関係者は「(VTRを韓国連盟に)そりゃ、見せるでしょう」と、プログラム解読を警戒する。2週間後にはヨナとの直接対決となる、グランプリシリーズ・フランス杯(パリ、15日開幕)を控える。氷上のライバル対決はこれから、さらに熱くなる。 (中谷秀樹)

明石花火大会事故 元副署長4度目不起訴 神戸地検 新証拠なしと判断か

2009年10月2日
2001年に兵庫県明石市で11人が死亡した花火大会事故で、神戸地検が、業務上過失致死傷容疑で書類送検された当時の県警明石署榊和晄(かずあき)副署長(62)を4度目の不起訴にしたことが2日、分かった。地検が嫌疑不十分で不起訴としたのに対し、検察審査会が今年7月、3度目の「起訴相当」を議決していたため再捜査していた。
 
 今年5月施行の改正検察審査会法では不起訴の場合、審査会が再度審査し、起訴すべきだと判断すれば裁判所の指定する弁護士が検察官に代わって起訴することになる。
 
 裁判員制度と同様に市民の意見を取り入れるのが狙いの改正法が施行されてから、審査会の起訴相当議決を受けて捜査した地検が再度不起訴処分としたのは初めてとみられ、今後は審査会の再審査の行方が注目される。
 
 地検は02年12月、現場で指揮した明石署の元地域官(59)ら5人を業務上過失致死傷罪で起訴したが、最高責任者の元署長(07年に死去)と榊元副署長については「事故の予測は困難だった」として起訴を見送った。
 
 今年7月の議決を受け、地検は過失の有無について再度捜査。起訴につながる新証拠がないと判断したとみられる。
 
 事故は01年7月21日に発生し、業務上過失致死傷罪の時効は5年。しかし、審査会は元地域官が上告中で、刑事訴訟法に「共犯の公判中は時効が停止する」との規定があることから時効には当たらないと判断した。

新潟国体、滋賀の躍進続く

第64回国民体育大会「新潟国体」は5日目の30日、14競技が行われた。県勢は、ボート成年女子ダブルスカルが優勝、同成年男子シングルスカルの溝辺達也選手(東レ滋賀事業場)が準優勝と期待通りの活躍。レスリングでは前回2位の成年男子グレコローマン66キロ級の清水博之選手(自衛隊体育学校)が自身初の国体制覇。同60キロ級の倉本一真選手(山梨学院大4年)は惜しくも決勝で敗れた。少年女子10メートルエア・ライフル立射20発では黄瀬優稀選手(水口高3年)が準優勝した。(対比地貴浩)

◆ベテラン破り自信 レスリング成年男子グレコローマン66キロ級の清水博之選手
 冷静な読みが「巨人」を退けた-。レスリング成年男子グレコローマン66キロ級の清水博之選手(自衛隊体育学校)。同60キロ級で全日本選手権7連覇、シドニー、アテネ両五輪日本代表の強敵、笹本睦(まこと)選手(綜合警備保障)との接戦をものにし、国体初優勝をたぐり寄せた。

 清水選手が高校1年でレスリングを始めた当時、笹本選手は既に日本一として君臨。現在は31歳のベテランだ。だが、清水選手も今や日本代表に選ばれる実力者。「(笹本選手の)力は衰えてないが、66キロ級のキャリアは自分が上。負けられるわけない」

 決勝は最終ピリオドまでもつれた。両者ゼロポイントのまま1分半が経過。この場合、四つんばいになって耐える「防御」と、それをひっくり返すか持ち上げて投げる「攻撃」に分かれて再開する。

 第1、2ピリオドの合計ポイントでリードし選択権があった清水選手。当初は攻撃を選ぶはずだったが、「相手の動き方が読めていた」。したたる汗で体が滑ることも計算。30秒を見事に耐え抜き、日本一の座をつかんだ。

 国体を制し、次は「2012年のロンドン五輪です」とさらなる高みを見据える。かつて雲の上の存在だった名選手を倒した自信は、大舞台への大きな糧になりそうだ。

◆上田・黄瀬組、2位に大差の勝利 ダブルスカル成年女子
 全レーン横一線の状況から勝負をかけた。終盤の750メートル地点からぐんぐん加速し、そのままゴールへ。ボート成年女子ダブルスカルで優勝を決めた県選抜の上田佳奈子選手(慶応大2年)は勢い良く振り返り、舳先(へさき)側の黄瀬春奈選手(瀬田漕艇倶楽部)とがっちり握手を交わした。

 2人で本格的にボートをこぎ始めたのは、9月の全日本選手権大会後。ダブルスカルはオールの動きを一致させられるかが鍵。8歳の年齢差だが中学、高校とも同じボート部出身だからか、黄瀬選手は「相性は問題なかった」と振り返った。

 決勝当日は波も風もほとんどない好条件。すべてのボートが順調にスピードを上げ、競り合う。上田選手の脳裏に前日の準決勝がよぎった。

 「途中まで3位だったけど、終盤のスパートで首位に。今回も同じ状況。仕掛けないと勝てない」

 黄瀬選手も考えは同じだった。息を合わせ、両腕に力を込める。体力に不安はない。残り100メートル地点で、進行方向と反対の向きでボートをこぐ相手の背中が視界に。2位に2秒以上もの差をつけての勝利だった。

 「優勝できて良かった」と笑顔の上田選手。黄瀬選手も「来年の国体でダブルスカルをやるかは分からないが、絶対に出場したい」と誓っていた。