酒気帯び運転:中2男子生徒を逮捕 原付きバイク2人乗り

沖縄県警本部(もとぶ)署は31日、原付きバイクを飲酒運転した同県今帰仁(なきじん)村の中2男子生徒(14)を道路交通法違反(酒気帯び・無免許)容疑で現行犯逮捕。同乗していた無職少年(15)を補導した。容疑を認めているという。

 逮捕容疑は、男子生徒は31日午前0時半ごろ、原付きバイクに2人乗りし、無免許で村内の国道を飲酒運転したとしている。

 同署によると、パトカーが2人乗りの原付きバイクを見つけ、追跡を始めた直後に転倒したという。逮捕された生徒は呼気1リットルあたり0.27ミリグラムのアルコール分が検出されており、飲酒の経緯などを調べている。2人は春休み中で「買い物に行く途中だった」と話しているという。【井本義親】

抱っこ布、危険抱える 転落など国内で64件、輸入元が自主回収

米国やカナダでベビースリング(抱っこ布)による乳児の窒息死事故が相次ぎ、両国が注意喚起などに今月乗り出した問題を受け、国民生活センターは27日までに、国内でも過去10年間に転落による乳児の頭蓋(ずがい)内損傷など64件の事故報告があったとして注意を呼びかけた。死亡事故は米国、カナダで過去20年に計16件あったが、国内では確認されなかった。

 同センターのまとめでは、1999年4月から今年3月15日時点までの間、国内の64件の事故によるけが人は0歳児を中心に55人となった。

 スリングなどを利用中に滑り落ちて頭蓋内損傷の重傷を負った0歳の男児1人のほか、0歳の女児が頭の骨を折るなど2人が骨折。最多は軽傷の打撲や擦り傷の40件で、脱臼1件などのほか、子守帯でおんぶ中に0歳児が顔を密着させ窒息しそうになったケースも1件あった。

 米国では、消費者製品安全委員会が生後4カ月未満の乳児について、スリングの布が鼻や口をふさいでしまう危険性と、利用中に乳児があごを胸につけるように丸まって気道を狭めてしまう危険性を指摘。カナダでは保健省が、保護者が転んだはずみの転落や、製品の脇や足の開いた部分から滑り落ちることなどに注意を呼びかけている。

 国民生活センターは「赤ちゃんの顔が見えるようにして、気道をふさぐ状態にならないよう注意を。首が据わるまでは背当てや頭当てがあるものを選び、使う際は落下防止の調節具を正しく調節するように」としている。

 この問題で、米国で3件の死亡事故があった米インファンティーノ社が米国、カナダで製品の自主回収を開始。国内の輸入・販売元のルミカ(福岡県古賀市)は26日、2007年10月以降に主に通信販売した「スリングライダー」3736個を対象に、自主回収を発表した。連絡先は電話03・5569・6080。

重圧にミス連発の長洲「チャンスを逃してしまった」

【フィギュア世界選手権女子】初出場の長洲は、巡ってきた優勝のチャンスを生かせなかった。周囲の予想を覆し、SPで五輪メダリストを抑えてトップに立ったものの、フリーはジャンプで転倒や回転不足、着氷が乱れるなどのミスを連発。「集中力を保ちたい。順位のことはあまり考えずに滑りたい」と懸命に無心を心掛けていたが、重圧に押しつぶされた。

 初の五輪は4位と大健闘し「安藤選手に勝っちゃった」と驚きを隠さなかった。屈託のない笑顔と、長い手足が印象的。この日は精彩を欠いたが、すでに全米女王に輝くなど、次代を担う逸材であることに疑いはない。

 日本人の両親は米ロサンゼルス郊外で、すしレストランを営む。米国で生まれ育ち、英語ほど流ちょうではない日本語で取材にも対応。ただし「自分は米国代表。これからもアメリカのために滑る」と言い切る。五輪に続き、貴重な経験を積んだ16歳は、いずれ日本勢にとっての脅威となりそうだ。

 ▼長洲未来の話 チャンスを逃してしまった。五輪は4位でメダルに近かったのに、落ちてしまって悔しい。 (共同)

障害者の希望育む

日本勢のメダルラッシュに沸いたバンクーバー冬季パラリンピック。その中で気をはいたのが、計11個のメダルのうち7個を獲得したアルペンスキー競技のチェアスキー勢だ。「後輩たちが、世界のトップレベルに確実に育った」。リレハンメル大会のアルペン・チェアスキーの銀メダリストで、長野大会では選手団主将も務めた野辺地町の四戸龍英さん(57)は、万感の思いで連日の熱戦を見つめた。(佐藤純)

 「金、取りました」。今月20日、弾んだ声の国際電話がバンクーバーから入った。アルペン・スーパー大回転で金メダルに輝いた北海道出身の狩野亮選手(24)だった。「青森に来る時には、金メダル持ってこいよ」。教え子が世界相手につかんだ頂点。うれしさがこみ上げた。

 出会ったのは10年前の2000年冬、北海道で臨んだ障害者スキーのナショナルチームの合宿先だった。父親と見学に訪れた中学3年の少年は、強化選手の滑りを熱いまなざしで見つめていた。話を聞くと、交通事故で脊髄(せきずい)を損傷したのが原因で両足の機能を失い、それでも、大好きなスキーを続けたいと、2年前にチェアスキーを始めたとのことだった。

 「滑りを見てあげようか」。自身と境遇を重ね、指導を買って出た。「独学なので教えてもらったことないんです」。うれしそうにゲレンデに繰り出した少年の滑りは、粗っぽさはあっても、驚くほどうまくスピードに乗れていた。急なカーブで無理をしない自分の滑りとは違った。

 無理にカーブを攻めないのには、わけがあった。高校時代に国体などで活躍し、大学に進んだ1年生の冬、滑降の練習中に転倒し、脊髄損傷で足の機能を奪われた。まだほとんど普及していなかったチェアスキーに33歳で出会い、パラリンピックの正式種目にチェアスキーが加わった1988年以降、5大会連続で出場したベテランも、転倒するのが怖かった。「ずるい滑りなんだ」。最高位は、94年のリレハンメル大会の銀だった。

 2002年のソルトレーク大会でパラリンピックを引退した。後を追うように4年後のトリノ大会に出場した少年は、回転で27位、大回転は途中棄権する大惨敗だった。粗削りな滑りは相変わらず。それでも、トップを狙って果敢に攻める姿勢を貫いた。「それで、いい」。金メダルに届かなかった夢を託した。

 前回トリノ大会の9個を上回るメダルをつかんだバンクーバー大会の閉会式。テレビには、旗手として日の丸を掲げる笑顔の狩野選手の姿があった。「やったな」。胸が熱くなった。

 来月、野辺地を訪ねてくる予定だ。その時には伝えようと決めている。「もっと頑張れ、そして記録を伸ばせ。その姿が、障害者たちの希望になるのだ」

(2010年3月28日 読売新聞)

雪上を駆ける 檜枝岐スラローム

●196人、全力の滑り

 第34回朝日杯檜枝岐スラローム大会(檜枝岐村主催、朝日新聞社、県スキー連盟など後援)が28日、檜枝岐村の尾瀬檜枝岐温泉スキー場で開かれた。男子6部門と女子4部門に小学生から成年まで計196人が参加し、138人が完走した。

 競技は2回の滑走の合計タイムで競われ、Aコースは全長400メートルで最大斜度が22度、第1走が39旗門、第2走が38旗門で行われた。Bコースは全長350メートルで最大傾斜度19度、第1走が34旗門、第2走は36旗門。Aコースで最も速かった選手に贈られる朝日杯は、猪苗代高の井上賢之介さん(18)が獲得。合計タイムで1分4秒29を記録した。Bコースでは、若松商高の橘つぐみさん(17)が1分10秒04で優勝した。

 福島地方気象台によると、競技が始まった午前9時半の同村の気温はマイナス0・3度。終止曇りがちで、競技中の最高気温も3度以下に。コースは滑走に適したコンディションが維持され、選手らは気持ちよさそうに板を走らせていた。

 上位の結果は以下の通り。

 ◆男子

 【小学1部】(1)中丸雄哉(南郷jrレーシング)(2)菊地朝仁(たかつえレーシング)(3)君島王羅(フォーチュンスポ少)

 【小学2部】(1)大谷龍平(アルツ磐梯「金メダルプロジェクト」)(2)小野岳陽(南郷jrレーシング)(3)長谷部宏仁(フォーチュンスポ少)

 【中学】(1)小野耕陽(南郷jrレーシング)(2)目黒郷(只見町スキースポ少)(3)藤野俊太郎(磐梯レーシング)

 【少年】(1)井上賢之介(猪苗代高)(2)山田隆太(同)(3)菊地拓也(若松商高)

 【成年1部】(1)大山亮(近畿大)(2)小橋雅弘(須賀川スポ少)

 【成年2部】(1)栗田健司(金山スキークラブ)(2)小野寺信雄(東北電力福島)(3)兎内茂(宇都宮協会)

 ◆女子

 【小学1部】(1)猪俣向日葵(スクエアレーシング)(2)中丸あみ(南郷jrレーシング)(3)白岩真帆(喜多方スキースポ少)

 【小学2部】(1)酒井晴加(南郷jrレーシング)(2)阿宗睦美(アルツ磐梯「金メダルプロジェクト」)(3)関光里(フォーチュンスポ少)

 【中学】(1)渡部麻結(城西スキースポ少)(2)中丸菜緒(南郷jrレーシング)(3)渡辺智子(フォーチュンスポ少)

 【一般】(1)橘つぐみ(若松商高)(2)土屋美咲(会津学鳳高)(3)土橋千聖(同)

 ◎情熱を忘れずに/Aコースで朝日杯:猪苗代高・井上 賢之さん

 猪苗代でインストラクターをしている父・裕明さん(47)の指導で、2歳から滑り始めた。「もの心がついた頃には滑れていた」

 猪苗代高で3年間、ハイレベルな仲間と切磋琢磨(せっさたくま)。冬は競技会で各地を転戦、夏は下半身を鍛え、今年2月のインターハイで大回転を制した。アルペンでのインハイ優勝は県内男子では初の快挙だ。

 新年度から早稲田大スポーツ科学部に進み、スキーを続ける。尊敬するのはアルペンの皆川賢太郎選手。「周りへの感謝の気持ちを忘れず、皆川さんのように年齢を重ねてもスキーへの情熱を忘れない選手でいたい」という。

 ◎攻めて差広げる/Bコースで優勝:若松商高・橘 つぐみさん

 地元、檜枝岐出身。応援に駆けつけた「じいちゃん」の前で、2位に2秒34の差をつける見事な滑りを見せた。

 今季は国体、インターハイに出場。ただ、いずれも転倒し、悔いを残した。それだけに「1本目は抑え過ぎた」。同じ檜枝岐出身で顧問の橘良弘先生(43)に「ゴールできたんだからいいよ」と励まされ、2本目に。急角度でターンする「ヘアピン」に注意しつつも、「攻め」の気持ちを胸に、さらに差を広げた。

 小学生の時から地元チームで滑り込んできた。新年度は高校最後の年。「1位で県予選を突破し、インハイで悔いのない滑りをしたい」

浅田真央、今季最終戦ヨナに勝った

「フィギュア世界選手権最終日」(27日、トリノ)

 女子フリーを行い、バンクーバー五輪銀メダルの浅田真央(19)=中京大=がショートプログラム(SP)、フリーともに2位の合計197・58点で、2年ぶり2度目の優勝を果たした。日本選手で2度の優勝は史上初。SP7位の五輪女王、キム・ヨナ(19)=韓国=はジャンプで転倒するなどミスが目立ったが、高い演技点で2位に食い込んだ。SP11位の安藤美姫(トヨタ自動車)は4位で、鈴木明子(邦和スポーツランド)は11位だった。

  ◇  ◇

 前回は立つこともできなかった表彰台の真ん中で、真央が君が代を口ずさんだ。隣には五輪女王のキム・ヨナ。「五輪よりいい演技ができた。やり切ったという気持ち。SP、フリーともほぼ完ぺきにできてうれしかったが、その後に金メダルがついてきて、またすごくうれしくなった」。波瀾(はらん)万丈だったシーズンを有終の美で飾った。

 シーズン序盤に苦しんだラフマニノフの「鐘」を「最後は自分のものにできた」と胸を張る。一つは回転不足になったが、2度のトリプルアクセルを着氷。トップの技術点で得点を稼いだ。ヨナに完敗した五輪でミスが続いた後半のジャンプも「絶対に決めたいと思っていた」と今度は成功させた。

 重厚な曲調に負けない、鬼気迫る表情で激しくリンクを縦断する終盤のステップは「一番の出来」と自賛した。

 五輪後は気が抜けた。だが、大会前の日本での練習は時差があるトリノでの競技時間を意識し、日付をまたぐ深夜に行った。一時は約2キロも増えたという体重も、しっかり落としてきた。

 うれし涙はない。心身の準備不足が明らかなヨナにフリーのトップは譲った。「五輪の悔しさは、この試合で晴らすことはできない」。周囲は雪辱戦と見るが、真央自身はスランプに陥った序盤戦や悔し涙を流した五輪の課題を克服したい一心だったのだろう。

 日本スケート連盟の伊東秀仁フィギュア委員長は「つらい思いもした五輪から気持ちを立て直したことが成長の証し」とたたえた。どんな試合でも全力で臨み、苦い思い出もばねにできる。大きな収穫を手に、19歳は次のシーズンに挑む。

「配慮があったのは明らか」ヨナの銀メダルに中国メディアが疑問を呈す

27日にイタリア・トリノで行われたフィギュアスケート世界選手権で、2位でフリープログラムに臨んだ浅田真央選手は完璧とも言える演技で 197.58点を記録して金メダルを獲得した。一方、バンクーバー五輪で金メダルを獲得した金妍兒(キム・ヨナ)選手はショートプログラムでの出遅れがひびき、銀メダルに終わった。
これに対し、中国新聞網は「キム・ヨナの銀メダルは意外だった」とし、ジャンプの転倒と回転不足があったにもかかわらず、ほぼノーミスの浅田真央選手(129・50点)より高い130.39点という全選手中最高の得点を獲得したことに疑問を呈した。

  続けて記事では、「完璧な演技を見せた浅田真央選手の点数がキム・ヨナ選手よりも低かったとき、会場からはため息が聞こえた」とし、表彰台でキム・ヨナ選手に送られた拍手は、金メダルを獲得した浅田真央選手はおろか、銅メダルのラウラ・レピスト選手よりもずっと少なかったと報じた。

  また、キム・ヨナ選手が獲得した点数に対し、記事では「ジャッジから何らかの配慮があったのは明らかだ」と指摘し、「フィギュアスケートにおける悲哀と言わざるを得ない」と報道。

  さらに、「ジャッジが見せた『えこひいき』はフィギュアスケートというスポーツの公平性をさらに失わせることとなった」とし、今回のような事件が今後のスポーツ競技で起きないことを希望するばかりであると報じた。(編集担当:畠山栄)

殿堂入り式典に出席 がんの俳優D・ホッパー氏

【ロサンゼルス共同】映画「イージー・ライダー」などで知られ、前立腺がんで余命わずかと伝えられている米俳優デニス・ホッパーさん(73)が26日、映画の都ハリウッドの殿堂入りを果たし、ハリウッドの目抜き通りで記念の星形プレートを披露する式典に出席した。

 笑顔でファンに手を振るなどしたが、体がやせて足取りが重かった。転倒して額を負傷したというホッパーさんは「皆さんからすべてを学んだ。ハリウッドはわたしの家であり学校だ」とスピーチした。

 式典には家族や俳優ジャック・ニコルソンさんら映画界の友人らも駆けつけた。ホッパーさんはがんで余命わずかとする書面を、離婚訴訟を担当する弁護士が24日に裁判所に提出していた。

青森県ドクターヘリ1年、出動229回「劇的救命」も

八戸市立市民病院は25日、同病院に配備されて運航1年となった青森県のドクターヘリの運航状況を公表した。

 運航を始めた昨年3月25日から今月24日までに229回出動し、221人の患者に対応した。ドクターヘリが出動しなければ死亡した可能性が高い「劇的救命」も、16人に上った。

 青森県ドクターヘリ運航調整委員会で報告された。それによると、各地の消防本部からの出動要請は計253回。悪天候などを除き、実際の出動は229回に上った。市町村別では、八戸市が59回と最も多く、十和田市20回、三戸町16回と続いた。三八、上十三など県南部地域が多いのに対し、津軽地域は少なかった。

 搬送や治療した患者計221人の内訳は、交通事故や転倒・転落などによる外傷が111人、病気が110人だった。このうち16人は交通事故やハチに刺されるなどして、ヘリが出動しなければ命が危ぶまれる「劇的救命」にあたるケースだった。また、出動したケースの6割は、要請から18分以内で患者に接触することができた。

 同病院の今明秀・救命救急センター所長は「16人の死亡を回避できた。合格点を付けたい」と強調。今後の課題として、冬場は視界不良で八甲田山系を越えることができないことなどを挙げた。

 これに対し委員会では、ドクターヘリを2機に増やし、同病院と県立中央病院の2か所に配備するなどの要望が上がった。

(2010年3月26日 読売新聞)

イチロー 伝説の美技を再現!! ワカマツ監督も大絶賛

【ピオリア(米アリゾナ州)ジョン・ヒッキー】伝説の超絶美技を再現!! マリナーズのイチロー外野手(36)は23日、エンゼルスとのオープン戦の2回、背後を襲ったマシスの打球に全力疾走。ジャンプ一番、後ろ向きのまま腕を伸ばしきって捕球すると、足から転倒。一回転してフェンスに背中からぶつかっても、ボールは落とさない。1954年、ジャイアンツのウィリー・メイズがワールドシリーズで魅せた伝説の背走捕球“ザ・キャッチ”をほうふつとさせるプレーに、満員観衆は総立ちで拍手を送った。

 「あんな打球を捕ったことは今まで一度もないから、自分の思い出には残る。練習の中でもこのキャッチが一番難しい。外野手でいうと、一番難易度が高い」。胸を張るイチローに、報道陣がメイズの話を振ると、「ザ・キャッチは知っている。比較? それはコメントできない。それはファンがしてください」と涼しい顔だった。

 ワカマツ監督は「あんなの見たことがない。GPS(衛星利用測位システム)機能でも付いているみたいだ」と、あんぐり。敵軍も、ソーシア監督が「信じられない。最高だ。オープン戦? 時期なんて関係ない」と首を振れば、特等席のブルペンから目撃したシールズ投手も「メイズのあのプレーがすぐに思い浮かんだ。思わず拍手してしまった」と敵であることを忘れた一瞬だった。“史上最高の外野手”と呼ばれるメイズも、きっと天国から拍手を送っていたに違いない。(AOLファンハウス記者)