くも膜下出血で倒れた夫(当時56)の法的脳死判定は、市立札幌病院救命救急センターに運ばれて5日目の朝に始まった。
「反応があってほしい。もう一度だけ、話がしたい」。長男(27)は、まだ望みをつないでいた。結果をこの目で確かめたい。立ち会いを希望し、家族と判定を見守った。
午前9時15分。ベッドを囲む判定医らが、検査を始めた。光をあて、皮膚を刺激して反応があるかどうかを調べ、耳に少量の冷水を入れて目に表れる反射をみていく。
そして脳波の検査。頭に接着用のジェルが塗られ、20枚ほどの電極がはり付けられた。モニターや記録用紙に描かれた波形の線は何を意味しているのか。長男は何度も鹿野恒医師に確かめた。
2度の判定で、脳の活動を示す兆候はなく、無呼吸テストにも反応はなかった。「もう、元の父にはもどらないんだな」。長男は、そう受けとめた。
「法的脳死判定の結果をもって午後7時41分、お亡くなりになりました」。死を告げる医師の言葉を聞きながら、女性に実感はわかなかった。夫の心臓は動き続けている。
でも、脳死なら心臓が止まるのもそう先ではない。ならば、無数のチューブにつながれた夫を早く解き放ってあげたい。「もう少しだからがんばって」。そう言葉をかけた。
翌日までに各病院で移植手術を担当する医師の移植チームが次々と到着した。静かだった夫の周囲が、あわただしくなった。
午後10時、移植できるのかを調べる臓器の検査が始まった。通常は家族が立ち会うことはない。しかし、すべてを見届けるのが家族の責任と話し合い、同席を希望した。
移植チームが交代で入室し、心臓や肝臓のあたりに超音波機器をあてたり、肺のX線写真を撮ったりした。晩酌を欠かさず、愛煙家だった夫の臓器が使えるのか心配で、「肺は大丈夫ですか」「お酒で肝臓は悪くなっていませんか」とチームの医師に質問した。
翌日午前5時半。心臓、肺、肝臓、腎臓、皮膚組織がヘリコプターや車で続々と運び出された。手術室から出てきた夫の顔は、バイクの転倒の時にできた目の周りの腫れもメークで隠された。大仕事をやり遂げ、誇りに満ちているように見えた。
夫の死について、後に思い悩むようになるとは、この時は予想もしていなかった。