「誰も分かってくれない」号泣…大原麗子さん孤独死

8月7日16時56分配信 夕刊フジ

 「すこし愛して、なが~く愛して」のCMで一世を風靡した女優、大原麗子さん(62)が東京・世田谷区の自宅で亡くなっているのを6日午後7時ごろ、警視庁成城署員が発見した。数日前から大原さんと連絡が取れず、心配した弟が警視庁に連絡し、成城署員が寝室で遺体を見つけた。病死とみられる。大原さんは、10年前から手足に力が入らなくなるギラン・バレー症候群を患い、表舞台から遠ざかっていた。あまりにも孤独な女優の最期となった。

 今年4月ごろ、大原さんと連絡を取った音楽誌「月刊ミュージック・スター」の編集長、山岸信美さんがこう明かす。

 「うちの部員が、過去のブロマイドの使用許可をいただこうと大原さんのご自宅に電話したら、介護疲れからか突然号泣されて、ひたすらお詫びを申し上げました」

 このとき大原さんは、「なんでこんなときに…。母の介護で大変なのよ。私のこんな苦労は誰も分かってくれない」と言ったきり、大泣きしたという。

 以前に面識があった山岸さんは心配になって直接、大原さんと面会しようと、3日後に電話を試みたが、留守電になったままで連絡が取れなくなっていた。

 大原さんの自宅は白壁で洋風の豪邸。半年ほど前まで介護が必要な91歳の実母と2人暮らしだったが、実母は施設に入り、大原さんは、独り暮らしだったようだ。

 孤独死の発見を導いたのは、大原さんの弟がかけた1本の電話だった。

 「2週間前から姉と連絡が取れない。携帯に電話をかけても出ない。どうしたらいいでしょう」

 今月3日、都内に住む弟が成城署に電話で相談。同日、署員が様子を見に行ったが、鍵がかかり中に入れなかったという。6日午後7時10分ごろ、合鍵を持った弟が同行して、署員4、5人が室内へ。大原さんは、2階の寝室であおむけに倒れていた。

 外傷や着衣の乱れはなく、自宅玄関や駐車場の出入り口は施錠され、室内が荒された形跡もないことから、同署は事件性は薄く病死とみている。自殺の可能性については「今のところはない」とした。遺体は死後約2週間が経過しており、一部腐敗がみられる。同署が詳しい死因を調べ、弟の要請があれば行政解剖を行うという。

 大原さんは昨年11月、自宅ガレージで転倒事故を起こし、大原さんは右手首骨折と膝を打撲する重傷を負った。

 持病のギラン・バレー症候群によるものだったが、このとき取材したサンケイスポーツに対し、「乳がんの手術を受けたし、うつ病にもなった」と涙声で語っていた。

 大原さんは91年と93年に乳がんの手術を受けた上、ギラン・バレー症候群の主治医が亡くなったことで、うつ病にかかったことを激白。

 難病を抱え、母親の介護が困難な状態だと辛そうに語る一方で、「本当は何度も(ギラン-が)再発しているけれど、同じ病気の方がこわがるから公表してこなかった」と気丈さも見せ、闘病への意欲は失っていなかった。

■ギラン・バレー症候群 筋肉を動かす運動神経の障害により、両手足に力が入らなくなる国指定の難病。顔面神経、自律神経やものを飲み込む感覚に障害を及ぼす場合もあるほか、症状が重いと呼吸不全を引き起こし、人工呼吸器が必要になる。発症率は10万人に1人程度というまれな病気だが、神経内科系の病気の中では比較的完治しやすいとされている。劇画家、さいとう・たかを氏が描く超人的スナイパー、ゴルゴ13の持病で、作品中に右手が動かず苦しむ姿が描かれた。

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