12月12日19時9分配信 医療介護CBニュース
これまで4回にわたり、新生児医療について医療側から見た問題点や、患者側の声を聞いてきた。最後に、こうしたさまざまな問題を抱えながら、現在の新生児医療がどのように地域で発展し、守られているのか、青森県や山形県の例を見てみる。限られた医療資源の中、“綱渡り”でありながらも地域周産期医療が保たれているのは、医療者同士がお互いを信頼し、連携体制を構築してきたからだ。一方で、この地域医療に大きな影響を与える動きも出てきた。文部科学省が、NICU病床が未整備の国立大病院に対する増床計画を打ち出したのだ。東京都では「必ず受け入れる」周産期母子医療センターが設置されるという。今、動きつつある周産期医療の提供体制。これから一般国民や医療者は、今ある医療をより良いものにするために、一体何をすべきだろうか―。(熊田梨恵)
■ハイリスク集約化で死亡率改善―青森県
「総合周産期母子医療センターが2004年に青森県立中央病院にできたことで、県内の周産期医療は劇的に改善された」と、青森県立中央病院総合周産期母子医療センター新生児集中治療管理部門部長の網塚貴介氏は語る。
人口140万人の青森県。07年の出生数は1万162人。もともと全国的に見ても死亡率が高く、出生率もここ10年は全国平均を下回っている。周産期医療に関しては、1999年から2年連続で国内の乳児死亡率と新生児死亡率の最高を記録。1000グラム未満の低出生体重児の出生率も、2002-04年と06年に、最高という状況だった。
これを重く見た県は、2000年に同院にNICUを設置することを決め、GCUを含め18床を整備した。さらに、国が周産期母子医療センターの整備を求める通知を各都道府県に出したことを受け、04年に同院に総合周産期母子医療センターを設置。26週未満の早産など、未熟性が最も高い新生児は同センターに集約化する方向で役割分担を進めた。心臓手術など外科治療が必要な場合は特定機能病院の弘前大医学部附属病院に依頼し、八戸市立市民病院など県内に4か所ある地域周産期母子医療センターは、「総合」センターよりリスクの低い妊婦や新生児を受け入れるようにした。
10年以上にわたり、開業医として地域の周産期医療にかかわってきた千歳産婦人科(青森市)の千歳和哉医師は、「リスクに応じて搬送先を選べるようになった。ハイリスク妊婦を『総合』センターに集めることで、ただでさえNICU病床が少ない中で入院が長期化していた『地域』センターの状況が改善された」と語る。ベッドの回転がよくなったことで、入院できる新生児の数も増え、その結果、受け入れを断られることが少なくなったという。
以前は県内の周産期医療を7つの病院で分担しており、ハイリスク妊婦や未熟児の赤ちゃんがそれぞれの施設に散らばっていた。このため、それぞれの病院で入院が長期化し、設備などの医療資源やマンパワーも分散。医師や看護師のスキルアップにもつながらない状況となっていた。
網塚氏は、県内の周産期医療の改善を表すデータとして、「『総合』センターに母体搬送された後の、搬送日から分娩までの日数の推移」を示す。「在胎週数30-33週で出産した妊婦を見ると、搬送後4週間以上入院してから分娩している妊婦の数が、04年から4年間で倍以上になり、搬送後8週間以上してからの分娩は3倍以上に増えた」という。「総合」センターに母体搬送することで、早産になるところをぎりぎりまで食い止めることができているということだ。県内の出生数自体は下がっているのに、04年以降4年間で、25週未満のハイリスク妊婦の搬送が倍近くに増えていた。
■“綱渡り”でも連携で保つ医療
妊婦を周産期母子医療センターに送る側の千歳氏は、「今の地域のお産は、綱渡りの状況」と言う。現在の青森市内の産婦人科の診療所は5か所で、10年前のほぼ半分にまで減った。県内の産婦人科はここ20年で約半分になるという、まさに産科医不足の状況だ。千歳氏は、限られた医療資源だからこそ、連携しなければ地域医療を守ることはできないと語る。
「もう以前のような状態には戻りたくない。開業医側が本当に困ったときにこそ必ず受けて入れてもらえるように、事前にセンターに相談しておくなどして、きちんとハイリスク妊婦を管理し、緊急搬送にしないようにしている。どうしても受け入れてもらわなければ困るという妊婦だけ送っている。それが自分たちにできる工夫。いかに今あるシステムを守っていくかだ。緊急搬送は日ごろの連携があって成り立つもの。センターの医師たちも医療を良くしていこうと頑張ってくれているから、自分たちも頑張りたい」
八戸市立市民病院小児科の佐藤智樹医師は、現在の地域周産期母子医療センターの大きな役割の一つとして、「総合」センターで急性期の状態を脱した新生児を受け入れる「逆搬送(バックトランスファー)」を挙げる。「この病院に赤ちゃんを送ってもらうことで、また新しい赤ちゃんを『総合』センターが受け入れることができる」。センターが患者を抱え過ぎないよう“循環”させることで、効率を良くするということだ。同院でNICUを見ている大崎美紀子看護師長も、「『総合』センターに赤ちゃんが入院したままだと、距離的にも家族には負担になる。自分の住んでいる地域に近い病院に赤ちゃんが戻って来ると、お母さんも赤ちゃんと面会しやすくなり、親子関係の確立につながる」と、逆搬送の効果を語る。
県内のへき地医療などに課題は残るものの、限られた資源を有効に活用しようとする医療者の日々の努力で地域周産期医療は保たれ、新生児死亡率や乳児死亡率などが改善されてきた。
千歳氏は「一番大事なのは信頼関係。日ごろからお互いに情報交換して顔の見える関係をつくることを大事にしている」。信頼関係があるからこそ、地域周産期医療が“綱渡り”の状態でも何とか保たれていると語る。
■「総合センターはつくらない」―山形県
一方で、山形県のように周産期母子医療センターを設置せず、独自の医療提供体制を構築している県もある。
人口約120万人の山形県内の出生数は、年々低下しており、06年は9513人。同県では、医療者が議論した結果、医師不足などから「周産期母子医療センターの設置には無理がある」として、周産期の三次救急医療を3つの病院で役割分担している。山形大医学部附属病院は、NICUはないが、母体合併症など重症の妊婦を受け入れ、新生児を県立中央病院(NICU9床、MFICU6床)や山形済生病院(NICU8床)に搬送している。山形大の嘉山孝正医学部長は、「現状は産科医がいないから、総合周産期母子医療センターの設置は無理。東北大から応援が来る見込みもないし、山形大から応援の医師を出すのも難しい」と語る。
ただ、県が今年策定した保健医療計画には、県立中央病院で総合周産期母子医療センターの設置を進めるとの内容が記載されている。県はもともとセンターを設置したい考えだったため、県立中央病院に設置要件を満たせる設備を整備し、これまで何度も医療者に議論を持ち掛けてきた。嘉山氏は、「県は箱物を造りたいと考えているようだが、絶対に造らない。無理にやると、自分たちで良くしようと考えて築いてきた地域医療が壊れる。舛添要一厚生労働相が出した『安心と希望の医療確保ビジョン』に書かれているように、地域の実情に応じた医療体制を構築していくことが大事なはず」と強調する。
■NICU未整備の国立大病院に設置計画
このように、医療者が地域で築いてきた周産期医療が国内で大きく動こうとしている。
文科省は12月5日、NICUが未整備の弘前、山形、千葉、東京医科歯科、福井、山梨、岐阜、佐賀、長崎の9国立大学病院に、来年度から4年間に最低各6床のNICU病床を設置することを盛り込んだ、全国の大学病院の周産期医療体制整備計画方針を打ち出した。人材養成などによる国立大病院の周産期医療全般の底上げのために、来年度予算で58億円を概算要求している。
山形大は来年度にNICUを6床設置することを決めた。嘉山氏は、「山形大はもともとNICU4床の枠は持っていて、新生児医療をしたいという意思はあった。だから今の県内の医療提供体制を崩さないように注意しながらやっていきたい」と語る。山形大にNICUをつくることは県内でコンセンサスができており、県内に11人いる新生児科医のうち、4人は確保できる見通しだ。
今回の文科省の方針について網塚氏は、「NICUの病床数が足りないというのは、施設数が足りないということではない。NICUの病床数を全体として増やすなら、既存施設の拡充が原則。中小規模の施設の乱立は、新生児科医が限られている現状では極めて効率が悪く、まして総合周産期母子医療センタークラスの中核施設からの人材の引き抜きなどが起こってしまっては本末転倒」と懸念する。また、NICU病床の増加には新生児科医の増員が不可欠だが、公立病院の人事異動のために、NICUで働く医師が短期間で移ってしまうことから、「研修している若い医師が一人前になる前の異動をやめれば人材は育つ」と指摘する。
文科省側は、「最近の周産期医療の傾向として集約化の議論があり、それに反対するものではない。計画には、NICU病床増床というハード面と、人材養成というソフト面を入れている。4年間の中で人材養成も考えてもらい、NICUの整備を進めてもらえれば。国立大病院は人材養成も使命の一つなので、NICUがないこと自体、どうかということもある。NICUを整備し、人材養成を進めてほしい」と話している。
■スーパー「総合」センター構想も―東京都
東京都でも周産期医療が動いている。
都の周産期医療協議会の岡井崇会長(昭和大医学部産婦人科学教室主任教授)は、脳卒中や心疾患など救急対応が必要なハイリスク妊婦を必ず受け入れられる体制を整備するという、新しい総合周産期母子医療センターの在り方を提案した。都内で今年秋、脳出血を起こした妊婦を総合周産期母子医療センターが受け入れられなかった事態が相次いだことなどを受けたものだ。
現在都内にある総合周産期母子医療センター9カ所のうち、3、4か所を指定する考えで、ベッドが満床だったり、当直医が別の患者に対応したりしていても、とりあえず受け入れることをイメージしている。同協議会の委員はこの新しいセンターについて、「スーパー総合周産期母子医療センター」という呼び名を通称として使っている。
これに対し、都内で小児医療についての知識などの普及に取り組んでいる「知ろう!小児医療 守ろう!子ども達」の会の阿真京子代表は、「10人受け入れるということは、10人出るということだが、そこの説明が抜け落ちている。『絶対に受け入れる』という言い方は、都民に誤解を与える。都民は早く結論を出すことは望んでいない。本当にこの方向性でいいのか、きちんと時間をかけて議論することが必要。都民はちゃんと話してもらうことを望んでいるし、きちんと理解できる」と疑問を呈する。
都側は、「会長提案として発議されたもので、実施はまだ決定していない。協議会が12月17日に開く会合で、詳細を議論していく」と話している。センターを新しい体制にすることが決まったとしても、予算確保などさまざまな準備があるため、実施スケジュールも含め今後の議論によるとしている。
■医療者と国民の対話を
近年、国内で相次いだ妊婦の救急受け入れ困難の問題を受け、周産期医療体制が大きく動きつつあるものの、「どこまで救命するのか」の議論が置き去りにされたまま、結論だけを急ぎ過ぎているとの指摘がある。新生児科医たちは、周産期医療体制を含む国内の医療提供体制全般について、まず国民ときちんと議論してから整えていくべきと主張する。
埼玉医科大総合医療センター総合周産期母子医療センター長の田村正徳氏は、札幌市内で昨年秋に、自宅で生まれた未熟児がNICUの満床などを理由に7病院から受け入れを断られて死亡した問題に触れ、「自宅でお産をする人は0.2%しかいない。そういうケースも100%助けていくようにするのか。そのためには、必要な医師数の計算や、救急隊のトレーニングなども必要。維持のコストもある。そうすると、収入の多くを税金として納める北欧のような体制が必要になるかもしれない。本当にそれでいいのか。しっかり議論していくべきだ」と語る。
10年にわたり、患者や家族とかかわり続けてきた、神奈川県立こども医療センター新生児科医長の豊島勝昭氏は、次のように語る。
「まず、NICUが不足していて、すぐには増やせないという現実を国民に誠実に話すこと。増床に見合った医師・看護師が育つまで、限りあるNICU病床をどう運用していくか、一緒に考えてもらうことを語り掛けたい。例えば、『10年後にはこれぐらいのNICU病床数の拡充を目指して、段階的に施設の拡充と人員の育成をする』と言う方が現実的だと思う。さまざまな立場から協力してくれる患者や家族も多い。医療者はもっと患者に現状を率直に話し、一緒に考え、手を携えて行動してもらえるように声を掛けていくべきだと思う」
また、妊婦への希望として、「妊婦検診の未受診妊婦には、出生時にNICU病床を確保しなければならないため、本当にNICUを必要とする母子からNICU病床を奪う可能性がある。早産予防の観点からも、妊婦検診をおろそかにしないでほしい。NICUという貴重な医療資源を一人でも多くの日本の未来を担う赤ちゃんのために使えるよう、NICU病床を大切に共有し、時には譲り合う、『お互いさま』の気持ちを持ってもらえることを願う」と話す。
NICUの受け入れ問題については、国内のNICUには人材不足や、行政や病院の運営方針のために有効活用できていない病床があると指摘。「人員不足の中でむやみに病床を増やそうとせず、これらのNICUについて、なぜ有効活用できないのかの理由を含めて開示し、医療者、行政、患者や家族で一緒に再運用の道を考えていくことを願う」と語る。
これまで医療者の努力によって築かれてきた医療提供体制が、さまざまな面で限界を迎え、“綱渡り”の状況になっている。ここに登場した多くの新生児科医は、一般国民とお互いを知り合い、共に議論しながら今後の医療をつくっていくことを願っている。国民が医療に対して求めているのは、一律にベッドを増やしたり、すべての患者を受け入れたりする体制なのだろうか。患者の、国民の声は本当に聞かれているのだろうか。「“声なき声”を聞き、自分たちが声を上げていかなければならない」(網塚氏)、「わたしたちは現場にいるから患者や家族の声を聞ける。一緒に考えようと語り掛けたい」(豊島氏)―。未来を担う子どもたちがいる新生児医療の現場。医療者と患者はこれから、どう手を携えていくのだろうか。
(終わり)